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最高裁判所第一小法廷 昭和49年(オ)314号 判決 1975年12月25日

主文

理由

上告代理人吉野森三、同鈴木秀男の上告理由第一点について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、井上一富が所論の欺罔行為により侵害した上告人の権利ないし利益は、上告人が本件土地を有効に取得しうると信じて同人に支払つた代金七六万円の出捐に尽きるものであつて、本件土地売買契約が履行された場合に得られたであろう転売利益に対する期待権の侵害にまで及ぶものとはいえない。これは同旨の原審の判断は、正当であり、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点について

原審の適法に確定した事実によれば、(一)群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原字立野一〇四五番地の四八山林一町一反七畝二五歩(以下「本件山林」という。)は、昭和二四年七月二日自作農創設特別措置法四一条に基づき被上告人土屋開門の妹にあたる訴外土屋五に売り渡された土地であるにもかかわらず、当時農地委員をしていた同被上告人が売渡通知書の売渡を受ける者の氏名を勝手に自分の子の土屋了名義に変更し、右売渡を原因とする同人名義の所有権移転登記を経由してしまつたので昭和三七年三、四月ごろ土屋五は土屋了を被告として本件山林につきその所有名義の変更を求める訴訟を提起するとともに、処分禁止の仮処分決定を得てその登記を経由した、(二)右訴訟提起後、被上告人土屋開門は、被上告人井上ミエの夫で、被上告人井上滋子、当井上恵子の父にあたる訴外亡井上一富から本件山林ほか一筆の山林の売却を求められたので、本件山林については土屋五との間で係争中であることを告げたところ、井上一富において、裁判の結果がどうなろうとも自分が一切の責任を負うから売つてほしいというので、同年六月二五日ころ了の代理人として本件山林を井上一富に売却し、登記については同人の指定する者に中間省略の方法で所有権移転登記手続することとし、同年八月中に代金の完済を受けた、(三)井上一富は、本件山林につき土屋五から訴訟が提起されていることを知りながら、この事実を隠して、同年七月末ころ、本件山林の一部である分筆後の同所一〇四五番地の二七三山林四反五畝一一歩(以下「本件土地」という。)を自己所有地として代金七六万円で上告人に売却し、右代金全額の支払を受けたうえ、同年一〇月四日本件土地につき中間省略により土屋了から上告人への所有権移転登記を経由した、(四)ところが、その後土屋五の土屋了に対する前記訴訟は、本件山林につき売渡を受けたのは土屋五であるとして同人の勝訴に確定し、昭和四一年七月二二日土屋了名義の本件山林売渡登記及び仮処分後に経由された上告人名義の本件土地所有権移転登記はいずれも抹消され、改めて土屋五名義に売渡登記が経由された、(五)井上一富は昭和四四年一二月二一日死亡し、被上告人井上ミエ、同井上滋子、同井上恵子(以下「被上告人井上ら」という。)が同人を共同相続した、とういうのである。

およそ、他人の権利を目的とする売買の売主が、その責に帰すべき事由によつて、右権利を取得してこれを買主に移転することができない場合には、買主は、債務不履行一般の原則にしたがつて、その履行不能と相当因果関係に立つ全損害の賠償を請求することができることは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁判所昭和四〇年(オ)第二一〇号同四一年九月八日第一小法廷判決・民集二〇巻七号一三二五頁参照)、右履行不能の意味についてはこれを社会の取引観念にしたがつて判断するのが相当である。この場合、売主が契約に際し他人の権利を取得することを停止条件として売買をしたものでないかぎり、売買の目的たる権利が他人に属することについての買主の知・不知を問題とする余地はなく、したがつてまた、契約に際し、売主が売買の目的たる権利を自己の物であると主張するか他人の物であることを明示するかにかかわらず、他人の権利を目的とする売買として契約は有効に成立し、民法五六〇条の適用にあることは、同条と同法五六一条、五六二条を対比することによりおのずから明らかであるといわなければならない。

これを本件についてみるのに、前記原審の確定した事実によれば、井上一富と上告人との間の本件土地売買契約は、売主たる井上一富において本件土地が同人の所有であると装つてこれを締結したものであると否とにかかわらず、他人の権利を目的とする売買として有効に成立し、井上一富がその責に帰すべき事由によつてその権利を取得してこれを買主たる上告人に移転することができなかつた場合には、上告人は井上一富に対し履行不能に基づく損害賠償を請求することができ、右損害賠償の範囲は、右履行不能の時期その他の事情いかんによつては、上告人の主張する転売利益の喪失による損害にも及ぶ余地があるものといわなければならない。しかるに、原審は、井上一富と上告人との間に本件土地売買契約が締結された当時、本件土地は客観的には土屋五の所有であり土屋了は当初から本件土地所有権を有していなかつたことを理由とするだけで、土屋五が本件土地を他には絶対に売却しない意思を有していたか否か、また、井上一富が土屋五から本件土地を相当価格で買い受ける努力をしたか否か等井上一富が本件土地所有権を土屋五から取得してこれを上告人に移転することができない事由についてなんら判断することなく、単に、本件土地が井上一富の所有であることを前提に締結された本件土地売買契約の内容は締結当初から客観的に不能であり、契約は無効であるとして、上告人の被上告人井上らに対する債務不履行に基づく損害賠償請求を排斥しているのであつて、原判決には、この点において他人の権利を目的とする売買契約及びその履行不能について法令の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならず、右違法は上告人の被上告人井上らに対する請求につき原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決中、上告人の被上告人井上らに対する請求につき上告人を敗訴せしめた部分は破棄を免れず、更に以上の点について審理を尽くさせるため、右の部分を原審に差し戻すのが相当である。

同第三点について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人の被上告人土屋開門に対する不法行為を理由とする損害賠償請求を排斥した原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

(裁判長裁判官 下田武三 裁判官 藤林益三 裁判官 岸 盛一 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)

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